被災者に想い届ける自分らしい支援のカタチ
2016年4月14日21時26分、熊本で震度7の大地震が発生。代表の有川凛は、翌朝から「除菌水まましゅっしゅ」を支援物資として贈る準備を始めました。
「被災者のために自分たちができることをする」という有川の想いはフェイスブックを駆け巡り、スタッフと2人で始めた活動は、ほんの数日で全国の250名以上の母親たちを巻き込む支援活動に。
その結果、16,000名分80,000包もの「除菌水まましゅっしゅ」を、障がい者施設をはじめとする多くの被災者にお届けすることができました。
手が届く支援に全国のお母さんが集まった
ーー支援が広がったキッカケはなんですか?
熊本地震の翌朝からスタッフと二人で「まましゅっしゅ」の発送の準備を始めました。当時は私もワーキングマザーとして会社勤めと二人の子どもの世話の合間に活動していたので、最初は自分たちにできる範囲のことをやろうと思っていたんです。
大掛かりにするつもりは全くなかったんですが、フェイスブックで熊本の被災地に「まましゅっしゅ」を贈るために奮闘していることを発信したところ、すぐさま多くの人がシェアしてくれて、それを見た人たちから「私にも協力させてほしい」というメッセージが届き始めました。
中でも全国に生徒さんがいる女性がシェアしてくれたことをきっかけに、フェイスブックでどんどん輪が広がり、気づいたら全国のお母さんたちが集まっていました。
その中には東日本大震災の被災者だった方もいました。今までお世話になった恩を返したいと考えていた矢先に、誰かがシェアした書き込みを偶然目にされたそうです。
最終的には全国で250名以上もの人たちが、私たちの支援活動に協力してくれました。こんなふうに支援の輪が全国に広まったことで、私自身もせっかくの善意を生かすために、今ある製品の在庫を全部寄付してしまおうと腹を括ることができました。
全国のお母さんたちが1箱に160セット(800包)を100箱。
合計16,000セット(80,000包)もの袋詰めを手伝ってくれました。
ーーお母さんたちが支援を申し出てくれたのは、なぜだと思いますか?
子どもが小さくてボランティアには行けない、子育てでいっぱいいっぱいという人でも、何か手伝えることがあればと思っているものです。もちろん募金という方法はありますが、それでは自分の気持ちは伝えにくい。もっと自分の手を動かして目に見える支援をしたくても、限られた時間の中でできる支援はなかなかありませんでした。
だから「まましゅっしゅ」を袋詰めして送るという内職のような手が届きやすい支援なら私でもできる、やらせてもらいたいと、全国のお母さんたちが申し出てくれたのでしょう。
加えて、東北の震災の時に、水などの物資の不足で赤ちゃんを抱えて困った経験を持つお母さんも多く、被災地のお母さんたちの大変さや不安な気持ちが容易に想像できたし、自分たちの募金がどう役立ったのかよく分からないという経験もしています。
だからこそ、どんな人のためにどう役立つのかが分かりやすい「まましゅっしゅ」の支援活動が広まったのだと思います。私が何も語らずとも、みんなの想像力でどんどん広がっていったのです。
乳幼児を持つお母さんたちが積極的に支援に参加してくれました。
お子さんたちもお手伝い♪
ーーどんな協力をお願いしたのでしょう?
当初は各地の協力者を取りまとめてくださっていた50名以上の方々に、自宅から「まましゅっしゅ」と小袋、パンフレット、チラシ、使用説明書、案内状がセットになった支援用キットを送って、協力してくれるお母さんたちに1セットに5包の「まましゅっしゅ」と紙類を小袋に詰める作業をお願いしていました。
でも、予想以上に協力者が増えてしまったため、途中で封入するチラシが足りなくなってしまいました。そうしたら、自分たちでカラー印刷をしてチラシを作ったり、くまモンのシールを作って貼ったり、手書きのメッセージを入れたりと、それぞれが工夫をしてくれるようになったんです。
だんだんと色んな人が被災者を想って活動するようになって、最初はお母さんたちが中心だった支援も、お教室などをやっている年配の方々にも広がっていきました。
被災地に贈ったのは1箱に160セット(800包)を100箱。合計16,000セット(80,000包)もの支援物資一つ一つに、それぞれが会ったこともない熊本の被災者たちを励ましたい、元気になってほしい、という気持ちを込めて丁寧にメッセージを送る、そんな皆さんの温かな気持ちの繋がりに、とても感動しました。
形だけの支援ではなく、やらされているのでもありません。
まさに、私たちのコンセプト「SMILE=Shearing Miracle In Life Everyday」何気ない日常の中で、一人一人が「少しずつの思いやり」や「寄り添い合う気持ち」、そしてそれぞれの智慧を持ち寄り、みんなを笑顔にしていくことが実現できた支援でした。
被災者を少しでも元気づけたい!と言う想いが伝わる手書きのメッセージや手作りのチラシは、
協力者が自発的に作ってくれたもの。
支援者の想いを被災地に届けるために
ーー被災地に「まましゅっしゅ」を贈り始めたのはいつから?
熊本地震の半年くらい前に起きた鬼怒川の氾濫の時に、浸水被害にあった保育園から「除菌水まましゅっしゅ」の購入希望が届き、少しでもお役に立てるならと寄贈しました。その時に衛生環境が悪い被災地では、やっぱり、こういう商品が必要だなと思ったんです。
そこで、被災者に支援物資を届ける活動をしている団体を探して、NGO法人AAR Japan(難民を助ける会)とつながることができました。
AAR Japanの担当者に、被災地で哺乳瓶を洗えずに困っている乳幼児のお母さんたちのために「まましゅっしゅ」を役立てて欲しいと話したところ、「ぜひに!」ということで支援がスタート。この時にAAR Japanとすぐに連絡が取れるような関係性ができました。
そんな経緯から、熊本地震でも一報を受けて、すぐさま共同代表の鈴木さんに「すごい地震だったね」と電話をして、自分たちができる範囲の支援をしようと「まましゅっしゅ」を支援物資として贈ることを決めました。
ーー被災地に支援物資を送る場合、拠点となる場所がないと送れずに物資が飽和状態になってしまうと聞きます。拠点はどうやって確保したのですか?
拠点となる場所を探し回ったわけではなく、どうしたものかと思っていたら偶然、知人を介して支援物資を渡す場所になっていた宇城市のイオンモール関係者を紹介してもらえたんです。
熊本でもAAR Japanといち早く連携していたので、イオンモールに箱詰めした支援物資を送る拠点にさせて欲しいとお願いしました。
また「NGOの人が支援物資を取りに行くので、渡していただけますか」と聞いたら、二つ返事でOKをもらえました。AAR Japanは物資を送る拠点を持っていなかったので、本当に助かりましたね。
ーーそうやって拠点に届いた「まましゅっしゅ」は、どんな人たちの元に届けられたのでしょうか?
被災者に支援物資を届けてくれたAAR Japanの人たちは、東日本大震災から続けてきた支援経験から一番困っている人、取り残されている人は、自由に身体を動かせない障がいを持った人たちだと気づいていました。
だから、除菌水「まましゅっしゅ」を使って身体を拭いてもらえるようにと、衛生状況が悪い障がい者施設などに迅速に届けてくれました。
AAR Japan 熊本地震:障がいのある方々へ迅速な支援を 4月25日の活動報告
ーー同時期に会社でも地震関連の仕事に就いていたそうですね。
熊本地震発生時、勤めていた保険会社では「地震保険金ご請求センター」で地震応援派遣者として、被災者の皆様から直接被害状況を聞いていました。平日も土日も会社でも自宅でも震災支援のために働いていたわけです。
仕事で関わっていたおかげで、ニュースで知る以上の被災地の生の情報を得ることができたし、被災者から直接聞いているので、とてもリアリティがありました。
また、地震直後は道路が分断されて荷物を届けることができない状態でしたが、仕事で宅配便の方と仲良しだったので、復旧情報をいち早く教えてもらえたんです。
おかげで、ベストなタイミングで各地から支援キットを熊本の拠点に一斉に送ってもらい、拠点から被災者の元に滞りなく届けることができました。
ーーなるほど。熊本の支援活動では、状況、拠点、支援者と様々な偶然が重なった結果、支援者たちの想いを被災地にしっかりと届けることができたのですね。
熊本の震災支援では、全国のお母さんたちが袋詰した「まましゅっしゅ」をどんどんイオンモールに送り、イオンモールやAAR Japanの人たちが必要な人たちに渡すというパズルが上手くはまったんです。
それぞれが自分の役割を遂行してくれたおかげで、私たちは東京でオペレーションをするだけで、本当に必要としている被災者の方々に無事に「まましゅっしゅ」を届けることができました。
自分たちの力だけでは、とてもここまではできなかったでしょう。 最初は自分たちの「何気ない日常」の中にある「小さな力」でやろうとしていたことでしたから。
でも、私の小さな声掛けが子育てに奮闘しているお母さんたちの気持ちに届き、愛の気持ちでシェアされていったら、気づけばこんなにも大きな取り組みになっていたんです。始まりは小さくても、みんなが声を掛け合い、心を寄り添いあえば、奇跡のようなことは起こるんだと実感した出来事でした。
関わってくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!
SMILE=Sharing Miracle In Life Everyday
(毎日の何気ない生活の中で奇跡を共有する)